指揮者のココがスゴイ!
吹奏楽や合唱などの多人数での演奏だと、多くの場合「指揮者」がいます。
指揮棒を振ったり、みんなに指示を出したりしていますよね。
学校内の式典や文化祭で合唱をする場合、指揮者は音楽の先生だったり、生徒の一人だったりすると思います。
そのせいなのか、指揮者の必要性についてはなかなか理解されない現状があるようです。
指揮者は、なぜ必要なのか?
指揮者の役割については、以前の記事でご紹介しました。
指揮者の役目の詳細についてはそちらを参照いただきたいのですが、ざっくり言いますと「演奏全体をまとめ上げるコーディネーター」といったところです。
演奏に必要な「テンポ」「強弱」「演奏表現」といった要素を演奏者全員に周知徹底するとともに、リアルタイムに演奏をリードしていくわけですね。
とはいえ、それだけでは指揮者の「凄さ」がイマイチ実感できないかもしれません。
ということで、今回は「指揮者のココがスゴイ!」というところを紹介していきたいと思います!
指揮者は誰でもできる?
指揮者は、基本的には自分で音を奏でることはなく、棒を振っているだけです(※ただし、演奏と指揮を兼ねる場合もあります)。
凄腕のピアノ奏者やヴァイオリン奏者が、両手を激しく動かして超絶技巧曲を弾きまくるイメージと比べれば、確かに「誰でも出来そう」と思われるのは無理もないことかもしれません。
実際、私の周りでも「指揮者って棒振ってるだけでしょ? 俺でもできるわ」と言っている人がいます。
できることなら、その人に演奏会の本番直前に指揮棒を渡して「では、お願いします」と言ってみたいところですが……
残念ですが、今まで数えきれないくらいステージでの演奏を経験してきた身からすると、全くの素人の方に指揮棒を持たせて指揮台に立たせるなんて、恐ろしくてとてもできません。
実例をご紹介します。
かなり前の話になるのですが、私の友人が所属しているアマチュアオーケストラが、あるきっかけで地元出身の作曲家の作品を演奏することになったのです。
指揮をするのは、その作曲家の縁者の方。
問題は、その方が指揮はおろか楽器もやったことがない、音楽的には全くの素人だったということです。
友人は私に言いました。
「いやぁ、あの指揮者にはまいったよ。だって、拍も正確に取れないんだから」
「拍を取れない」というのは、指揮棒を一定間隔で振れないということですね。
大問題です。
拍子がずっと変わらない曲ならまだしも、その演奏会でのメイン曲は途中で何度も拍子が変わるからです。
一定の間隔で拍を刻めない人がそんな曲の指揮をしたら、演奏を続けること事態が困難になってしまいます。
その演奏会本番、私も聴きに行きました。
曲の出だしから指揮者も演奏者もおっかなびっくりで、「大丈夫?」と聞きたくなるような演奏でした。
それでも、さすがにかなり練習したのでしょう、演奏自体は何とか最後までやり切っていて、ホッとしたのを覚えています。
素人指揮者でも止まらず演奏できる……という言い方もできそうですが、安心して聞いていられないようでは、とてもお客さんに聴かせられるレベルではないでしょう。
やはり指揮者が素人では、マトモな演奏はできないのです。
指揮の技術はこんなにスゴイ!
では、指揮のやり方(指揮法)を専門に学んだ方はどれだけスゴイのか?
上の動画は、作曲家で指揮者の保科洋さんによる指揮法解説ですが、指揮棒の振り方に非常に細かな変化をつけているということが分かると思います。
そうすることによって奏者に演奏のニュアンスを伝え、音楽的な抑揚や変化を生み出しているのですね。
指揮者がスコア(楽譜)を細部まで読み込み、そこに書かれた指示を正確に読み取れなくては、こんなことはできません。
もちろん、全ての楽器の楽譜についてです。
ということは、それぞれの楽器の出せる音域や音色の特性、奏法上の制限などについても頭に入っていなくてはいけないわけです。
楽譜上に書かれている音楽記号や専門用語に関しても、全て知っていることが前提なのは言うまでもありません。
指揮法については非常に多くのテクニックがあり、私も専門外なのであまり詳しくは語れませんが、音楽大学で専門の学科があるくらい、奥の深い世界だということだけはご紹介しておきます。
指揮者が上手いと演奏もしやすい!
私が、高校時代にある有名オーケストラの方に指揮していただいた時の体験談は、以前の記事でご紹介しました。
他にもいろいろな方の指揮で演奏をしてきましたが、やはり指揮者によって「演奏のしやすさ」は劇的に変わるものです。
具体的な例を一つ上げると、打楽器を演奏されてきた方の指揮は非常に見やすく、演奏しやすいと感じます。
打楽器奏者はリズムが体に染みついているからなのでしょうか。
これまでお話ししてきたように、演奏中の指揮者は実にたくさんのことを考え、演奏者に絶えず指示を出していかなければなりません。
正しいテンポ感を身に付けていれば自ずと正確な拍を刻むことができますので、その分だけ指揮の負担は減り、より多くのことに気を回すことができます。
逆に、指揮者が拍がズレないように必死になっていると、演奏者も固くなってしまい、結果として演奏自体がぎこちないものになってしまいます。
また、演奏者は自分が入るタイミングが分からないと、とても不安になります。
「このタイミングで入って大丈夫なのかな? ズレてないかな?」なんて考えながら演奏していたらミスをしやすくなりますし、ミスを恐れて慎重になった結果、つまらない演奏になってしまいがちです。
指揮者が確かな技術を持っていて堂々としていれば、奏者としても安心して演奏に集中できるのです。
いるだけで違う!?「巨匠」の凄み
2024年2月、世界的指揮者として活躍された小澤征爾さんが亡くなられました。
ベートーヴェン作曲 「エグモント」序曲
演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:小澤征爾
小澤さんのように「巨匠」と呼ばれるレベルの名指揮者ともなると、凄みもまた違ってきます。
戦後の名指揮者といえば、「楽壇の帝王」と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンが良く知られていますね。
さらにそれ以前、名指揮者の代名詞といえば、カラヤンの先代のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーでした。
フルトヴェングラーについて、ベルリン・フィルのティンパニ奏者だったヴェルナー・テーリヒェンの証言をご紹介します。
ティンパニが長い休符の間
DVD『The Art of Conducting 今世紀の偉大な指揮者たち』(株式会社ワーナーミュージック・ジャパン)
楽器の上にスコアを広げて
ずっと目でスコアを追っていました
リハーサルで出る音は分かっています
でも 突然響いた音は
とても新鮮で魅力的な音でした
不思議に思って
指揮台を見ても何の変哲もなく
仲間を見ると皆 入り口を見ています
入り口にはフルトヴェングラーが
彼は その場に姿を見せただけで
優れた音を作り出しました
彼は自分自身の内に音を持っていて
人から音を引き出すのです
この時のリハーサルは指揮者なしで行っていたか、別の人が指揮をしていたのでしょう。
それが、途中でフルトヴェングラーが姿を現した途端、音が……というエピソードです。
フルトヴェングラーくらいになると、指揮台に立つことすらなく演奏に影響を与えてしまうという、いかにも「巨匠」らしい逸話ですね。
「実際そんなことあるわけないだろ」と思う方もいらっしゃるかもしれません。
ですが、音楽で一番大事なのは、実はテーリヒェンの言う「自分自身の内に音を持っていて」という部分。
指揮者の凄さについてあれこれお話ししてきましたが、本当にスゴイ指揮者というのは、「人間の内に秘めた音楽」を引き出す力を持った人なのかもしれませんね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
今回の私の話が、皆さんの生活に少しでも役立てば嬉しいです!