憧れの舞台、吹奏楽コンクール
吹奏楽部で練習に励んでいる皆さん、こんにちは!
吹奏楽部が目指す大きな目標といえば、「全日本吹奏楽コンクール」での入賞ですね。
運動部にとっての「インターハイ」や野球部にとっての「甲子園大会」と同じく、吹奏楽コンクールの全国大会は多くの吹奏楽部員が憧れる晴れの舞台です。
2020年はコロナ禍によって残念ながら中止となってしまいましたが、2021年は2年ぶりの開催となり、出場した皆さんは特別な想いを込めてステージでの演奏に臨んだことと思います。
私も高校時代、吹奏楽コンクールでの入賞を目指してトランペットの練習に励んでいた時期がありました。
1年生、2年生の時には出場メンバーに選ばれませんでしたので、実際にコンクールの舞台に上がったのは3年生の時だけです。
部活での練習は毎日本当に楽しかったのですが、今にして思えば、コンクールの期間だけは異質な時間が流れていたように感じられます。
今回は、高校時代の吹奏楽コンクールにまつわる私の体験をお伝えしていきます。
私たちの高校はせいぜい県大会止まりというレベルでしたから、全国大会常連校の皆さんからすれば、私の話は全く参考にならないと思います。
かつての私たちのように「県大会上位入賞、あわよくば支部大会出場」を目標にがんばっている方、そして、
「コンクール本番で上手く演奏できるか不安」
「音楽って、コンクールが全てなのかな?」
「コンクールで入賞できなかったら、今までの練習がムダになっちゃうのかな?」
といった悩みを抱えている方に、ぜひ読んでいただけたらと思っています。
楽器とともに過ごした充実の日々
高校の吹奏楽部での練習は、本当に楽しいひとときでした。
中学時代に吹奏楽部に入っていなかった私は、トランペットはそれほど上手くはなかったのですが、練習している曲の中でカッコいいフレーズがあると、気に入って練習時間中に何度も吹き鳴らしていた記憶があります。
顧問のS先生はとてもユニークな人柄で、部員のみんなに慕われていました。
厳しい指導は一切なく、「音楽は楽しんでやるもの」だというスタンスで指導してくださっていたように思います。
何より、私たちの学年は大変仲が良くて、練習の雰囲気もいつも明るいものでした。
練習の合間に、私は友達とアニメの話で盛り上がったり、カードゲームに興じたりもしていました(あまり褒められたことではありませんが)。
もちろん、練習にも真面目に取り組んでいました。
演奏を作り上げていくうえで、他のパートの部員と意見がぶつかることもたびたびありましたが、それはあくまで一時的なもので、みんなが音楽に真剣に向き合っていた証だと思います。
そんな楽しくて充実していた日常が、一気に暗転していくきっかけとなった出来事がありました。
楽しかった練習が一変!
高校3年生の初夏、吹奏楽コンクールに向けて練習に取り組んでいた時期のことです。
臨時の講師として、あるプロオーケストラの奏者の方が指導してくださる機会がありました。
私たちの部でプロの講師を招くことは滅多になかったため、「どんなことを教えていただけるんだろう」と興味津々でした。
そしてやってきた、コンクールの自由曲の合奏練習の時間。
合奏の準備が整い、その先生が指揮棒を振り始めて演奏が始まると、不思議なことが起こりました。
いつもと変わらないメンバー。
毎日練習している曲。
なのに、練習会場に鳴り響く私たちの演奏は、今までとはまるで別モノに聞こえました。
講師の方の指揮は、拍子を一つ一つ刻むのではなく、指揮棒をくるくると回すような特徴的なものでした。
一見すると打点(音を出すタイミング)がわかりにくいように思えるのですが、その指揮を見ながら演奏すると、どのパートの音も気持ちいいくらいにタテが揃うのです。
クレシェンドやデクレシェンド、アクセントなどもぴったりと揃い、楽器から出てくるサウンドまで変わってしまったかのようでした。
私は演奏しながら、「指揮者が変わると、こんなにも演奏が変わるのか」と驚愕していました。
その講師の方の指導を目の当たりにして、私たち以上に衝撃を受けた人物がいました。
顧問のS先生です。
次の日、S先生は私たちに宣言しました。
「今までの俺の教え方は間違っていた。これからはもっと厳しくやっていく!」
実際、S先生の指導方法は豹変しました。
曲の中で音が揃わない箇所、ミスが目立つ箇所は、嫌になるくらい繰り返し吹かされるようになりました。
それまでの優しく楽しい指導は鳴りを潜め、ミスをしたり指示通りに吹かなかったりした部員には、容赦のない厳しい言葉が浴びせられるようになったのです。
自由曲の中で、私は短いトランペットソロを担当していたのですが、ある日の合奏中に「もっと大きい音を出せ」と指導され、みんなの前で何度もソロの部分だけを吹かされました。
私は一生懸命吹きましたが、S先生の満足のいく音にはなりませんでした。
私が何度か吹いた後、S先生は呆れたように「もういい」と吐き捨て、挙句にこう罵倒したのです。
「お前のはトランペットじゃない。『鳴らんペット』だ!」
これはショックでした。
一生懸命練習したソロを認めてもらえず、罵られる――
優しくて、音楽が大好きで、私が尊敬していた先生だったから、なおさらショックです。
楽しかったはずの練習は、それから苦痛の時間に変わりました。
それまでずっと抱いていた「楽しく演奏しよう」という気持ちは徐々に消え失せていき、代わりに「最低限、ミスをしないようにすればいい」という、音楽をやる上で最悪の考え方が染み付いていくようになってしまったのです。
いよいよ本番! でも……
長く苦しい練習の末、いよいよ吹奏楽コンクール本番を迎えました。
地区大会は難なく通過し、駒を進めた県大会。
私たちが目標としていたのは「金賞」の獲得でした。
県大会での演奏の記憶は、正直ほとんどありません。
コンクール独特の緊張感がステージを覆っていたのは確かです。
問題のトランペットソロは、「無難に」こなしました。
「楽しく演奏した」という印象は、全くありません。
結果は、「銀賞」でした。
吹奏楽コンクールでは、出場団体の演奏が録音され、CDとして出場団体に渡されます。
大学生になった後、高校時代をふと思い出し、そのCDでコンクールでの演奏を聴いたことがありました。
その時に抱いた印象は、「つまらない演奏」。
毎日励んだ練習の甲斐あって、私たちの演奏は着実に安定感を増していたと思います。
音の強弱も、テンポの緩急も、音楽的な表現は一通りこなしていたはずです。
でも、「つまらない」。
コンクール本番でみんなが過度に緊張していたのか、それとも私と同じように、みんなが「ミスをしないようにすればいい」と思ってしまっていたのか。
原因はいろいろあると思うのですが、プレッシャーのない定期演奏会での演奏の方が、演奏者にとってもお客さんにとっても「楽しい演奏」だったことは間違いないと思います。
振り返ってわかるコンクールの意義
今にして振り返ると、S先生は私たちのために一生懸命指導してくださっていたのだと思えます。
私への厳しい言葉も、今となってはこうしてブログのネタになっていますし(笑)。
実際、あの頃の私は下手だったのでしょう。
吹奏楽コンクールの結果は、専門家の方が審査基準に従って演奏を採点するものですから、音楽的にも正当に評価されているものだと考えられます。
全国大会で金賞を獲得した団体の演奏は、実際に素晴らしいものです。
しかし、コンクールで入賞できなかった団体の演奏はダメな演奏なのかといえば、そうではありません。
楽譜どおりに演奏しなければならず、細かい点まで審査員にチェックされるというコンクールの緊張感の中で演奏するよりも、定期演奏会やイベントでのびのびと演奏した方が、ずっとクオリティの高い音楽になるというのはあり得ることです。
私は大学に入ってからは学生オーケストラでトランペットを吹いていましたが、吹奏楽コンクールの時とは比べものにならないくらい生き生きとした演奏をすることができるようになりました。
プロの音楽家を目指す方は別ですが、「コンクールが全て」と考えている方がいたとしたら、その考え方は非常にもったいないと言わざるを得ません。
もちろん、吹奏楽コンクールにもちゃんとした意義があります。
コンクールに向けて一生懸命取り組むことで、音楽に関する基本的な知識やルールを頭と体に叩き込むことができます。
そして、目標を目指して真剣に取り組んだ人たちの音楽は、それだけで大きな説得力を持ちます。
私自身も、今振り返ればコンクールでの演奏はいい経験になったと思えます。
練習の厳しさ、結果を求められることのプレッシャーなど、コンクールには辛い面が多々ありますが、ぜひ自分の納得のできる演奏ができるように、がんばってみてください。
結果だけに縛られず、「楽しむことを忘れず」に!
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
今回の私の話が、皆さんの音楽人生に少しでも役立てば嬉しいです!